海の街、紀北町の救世主!!この地域を発展させた尾鷲ヒノキ

海の街、紀北町の救世主!!この地域を発展させた尾鷲ヒノキ

尾鷲ヒノキの産地、三重県紀北町。
2016年に農林水産省が制定した「日本農業遺産」に隣町・尾鷲市とともに選出されました。

特徴

年輪が緻密で、油分が多く光沢があり、強靭であることが特徴です。
この地域は急峻な地形で土壌がやせており、木が生育するのに厳しい環境であることがこれらの特徴を作っているようです。
木材の強度を表すヤング係数は一般的なヒノキが90~100程度に対し、尾鷲ヒノキは110という高い数値を計測しています。

紀北町役場の案内板は尾鷲ヒノキで作られています。来庁者をヒノキの香りと美しさが迎えます。

歴史

過去には伊勢神宮の御料地だったこともあり、『海山町史』によると20年に一度行われる遷宮の際にこの地で採れた木材が心柱として使用されたそうです。ちなみに紀北町にある「引本」という地名は、この心柱を引き出した地ということが由来だそうです。
上記のように元々林業の盛んな地域でしたが、今の尾鷲ヒノキの原型を作ったのは江戸時代の頃。この地域を治めていた紀州藩が私的所有林を広く認め、林業を推奨したことでした。この政策は地理的に農地がほとんどなく(※紀北町の面積の約9割は森林です。)、林業と漁業しかできなかったこの地域の発展を促しました。海運業が盛んで、木材を江戸まで4~5日で輸送できることもあり、林業が大きく発達しました。

速水林業が管理するFSCの森、大田賀山林。江戸時代にこの地域で植林した場所が私有地になったので植林が進みました。それが今の尾鷲ヒノキにつながっています。

紀北町地域での発展の鍵

紀北町で林業が発達したのは、波静かな引本港と船津川・銚子川の2つの川の存在が非常に大きいです。
江戸へ木材を運ぶための拠点である引本港へ切った木材を筏にして船津川・銚子川を流せたので、港への搬送を人力に頼ることが少なかったことが発展の要因の一つです。

現在の引本港周辺の地図。複数の山で伐採した木材を1か所に容易に集めることができたのは、この地域で林業を行う大きな利点でした。

ブランド化される尾鷲ヒノキ

江戸時代、江戸では火事が多く、焼けた建物を直すため多くの木材が必要でした。尾鷲ヒノキは本末同大(※先端と根元の太さが変わらないこと)で加工の手間がかからないため、大変人気を博したそうです。
尾鷲ヒノキのブランドをさらに高めたのは、関東大震災でした。10万棟を超す建物が倒壊した悲惨な地震でしたが、尾鷲ヒノキで建てられた家の倒壊が少なかったことから、尾鷲ヒノキの需要はさらに大きくなったそうです。

ぜひ手にしてほしい尾鷲ヒノキを使った製品

紀北町には日本第1号のFSC認証を取得した速水林業の森があります。FSCとは「環境保全の点から見て適切で、社会的な利益にかない、経済的にも持続可能な森林管理」と認定された森林のことです。

FSCに認証された製品につけられるマーク。

製品が発する木の香りや感触、そして色を楽しんでほしいと思います。
尾鷲ヒノキは色が濃く、光沢があり、非常にきれいな見た目をしています。時間が経過すると一般的なヒノキはあめ色に変色しますが、尾鷲ヒノキは鮮やかなオレンジ色に近づいていきます。
永く使える尾鷲ヒノキ製品、ぜひ人生のパートナーにしてみてはいかがでしょうか。
 

尾鷲ヒノキの特産品はこちらでご覧いただけます。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です