日本初のかますバッテラをいただけるお店「一冨士」 前編

日本初のかますバッテラをいただけるお店「一冨士」 前編

紀北町役場海山総合支所から相賀駅方向へ約1分歩いたところにある割烹「一冨士」。
60年近く続く、歴史あるお店です。
今回は2代目店主の奥村信幸さんにお話を聞かせていただきました。

―お店について教えてください。
昭和30年に父が開店しました。当時は今の場所ではなく、引本に店を構えていました。(※現在は奥村さん宅ではないそうですが、当時の店が引本に残っています。海まで徒歩0分です。)
そこでは食堂や料理店、トリスバーを開いていました。このあたりでトリスバーは珍しく、町外から歩いて通ってきていた人もいたそうです。漁のため四国など地域外から船がやってきていたこともあり、引本は大変活気がありました。当時はどこの店でも若い女性をスタッフとして雇っており一冨士でも雇っていました。スタッフが店に来た男性と結婚してやめてしまうため、スタッフの確保が大変だったそうです。

今の場所に移ってきたのは昭和42年頃です。そのころ役場(※旧海山町役場のこと。現在は海山総合支所)が今の位置に移動すると決まったのがきっかけでした。そのころ店の前の道にはほとんど建物がなく田んぼや畑だらけだったのですが、その後このあたりが栄えたので先見の明があったと周りの人から言われたそうです。
当時は木材を全国へ発送しており、製材所が40軒ほどありました。実際に役場がある場所も農林水産省の営林署でしたし、その前にある町民センターも製材所でした。全国から問屋がこの地域に来ていたこともあり、よく接待に一冨士を使ってもらっていました。

お店ではこのあたりで獲れた新鮮な魚をふんだんに使った料理を提供しています。鮮度には大変自信がありその日水揚げされた魚を提供していて、市場が休みの日も活けの魚を生かして使っています。お店に来たらまず刺身を食べてほしいです。遠方からいらっしゃったお客様からはここで食べるのと向こうで食べるのでは全然違うとお褒めの言葉をいただいています。

その中でもおススメは海鮮チラシです。新鮮なお刺身を10種類以上のせていて、これ一つでこの地域の魚をほとんど食べることができます。

冬にはこの地域の名産である渡利牡蠣のコース料理を出していて、かなりの人気をいただいております。冬になると町外から多くのお客様が渡利牡蠣のコース目当てに来店されており、毎年バスツアーを組んでいただくほどの人気ぶりです。

―お店を継いだ理由を教えてください。
中学3年生の頃に父親が亡くなったことが転機でした。
それまで長男で父親が店をやっていているから家を継ぐか、それともサラリーマンとして働くかなど何になるんかなっていう気持ちでいました。
父親が亡くなったのが店を今の場所に移転してすぐだったこともあり、(店を建てた)借金と子ども3人を母親が支えることになりました。元々母親は裏方で、父親が表に立ってやっていたので大変苦労したと思います。
それでも高校だけはなんとか出してもらい、卒業後半分家庭の事情で大阪に修業に出て継ぐことにしました。
もし父親が生きていれば、違う道に進んでいたかもしれないと思っています。

―大阪での6年の修業について教えてください。
最初にお世話になった店は懐石としゃぶしゃぶのお店でした。
この店で基本をみっちり仕込んでもらいました。
最初に和食の基礎をしっかりと教えてもらったのが後々の修業にとても活き、よかったと思っています。
その後系列の料亭で修業を積んだ後、フグ料理、天ぷら料理をいろいろなお店で修業をし、最後に寿司屋で修業をしました。

私が帰るまで、母は料理人を雇い一冨士を切り盛りしていました。
当時田舎に来る料理人はすぐにやめる人が多く、料理人には大変苦労したそうです。
そういうこともあり、ある程度覚えた段階で紀北町に帰ることを決めました。

一冨士の特産品はこちらでご覧いただけます。


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