森を、伝統技術を守る木工屋さん「中井木工」 後編

森を、伝統技術を守る木工屋さん「中井木工」 後編

―中井さんはもともと木工屋だったのですか?
いえ、違います。もともとは全然違うことをしていました。
芸大に行きたかったのですが行けず、父が経営する塗装屋でしばらく働いていました。

塗装屋で働く中で、自分のやりたいことをやりたいと思うようになりました。
趣味が星空観察というのもあって、望遠鏡を作りたいと思っていました。望遠鏡を作るには金属の筒を作成する必要があり、それには旋盤技術(旋盤は回転する素材に刃を当て、切削する加工技術のこと)を学ぶ必要があります。
そこで愛知にある会社に入り、旋盤の技術を学びました。幸運なことに鉄に関するものならなんでもやっている会社でしたので、フライス盤(旋盤とは逆に素材ではなく刃物を回転させ、加工する技術)や溶接(2つ以上の材料を熱や圧力を加え、部材を接合する技術)といった技術を学ぶことができました。

―なぜ紀北町に来たのですか?
紀北町は自分のふるさとで、愛知からUターンしてきました。
Uターンしたきっかけは、平成16年に発生した海山町(※紀北町は紀伊長島町と海山町の2町が合併してできました。)での水害でした。浸水する町を見て、ふるさとに戻ることを決めました。

こちらに帰ってから始めた仕事が近大高専での講師でした。(※この当時近大高専は熊野市にあり、海山町から約1時間ほどの距離です。)近大高専では、これまで培った機械の技術について教えていました。
それとは別にロボコンやエコランカーなどを教える機会がありました。現在週に2日、尾鷲高校に教えに行っているのですが、この時にエコランカーを教えていたことがきっかけです。

スピーカー作りも近大高専にいるときに音響測定の先生に出会ったことがきっかけです。この時に音の振動のことについて勉強したので、今こうしてスピーカーを自分で作ることができるのです。

近大高専の講師をやめたのは、名張市への移転が決まったからです。地元へ帰ってきたのにもう一回外に出ていくのは違うかなと思いました。
さあ仕事がなくなったどうしようということで、中井木工を始めました。

―これまでの経歴とは別の木工屋さんになぜなろうと思ったのですか?
小さい時から木工が好きだったからです。幼少期からノコギリなどの工具を使って木工するのがとにかく大好きでした。高校生の頃には、父親と2人で家を増築したこともあります。

そしてもう一つ、家の裏には曾祖父が植えた木々がありそれを活かしたいと思ったからです。木材として使えるようになるには、約60年という長い年月をかけて育てた木を伐採し、それから乾燥させて初めて使用できるようになります。森を守るためには、間伐していかなければいけません。うちで使うヒノキはこの森から切り出したものを使っています。
そして、この森を守り続けるため植林もしています。自分の代で使うことはきっとありませんが、子の世代、孫の世代のために植林を続けています。

ご自宅の裏手にある森

―大事にしていることはありますか?
「カンナがけ」「無塗装」「釘を使わない」など昔は当たり前だった技術が今はなくなりつつあります。そういうなくなってはいけない伝統を守りたいとも思っています。
伝統的な木工をするためには道具、特に刃物の手入れをする必要があります。道具の手入れが難しく、この世界を去っていく人が多いそうです。小さい頃からどうすればうまく工具を取り扱えるか研究して家にある刃物を片っ端からといでいたので、これが全然苦になりません。
あとは木材を買うのではなく製材するところからやっています。自分で切り出しているから、この木材が木のどの部分を使っているかわかるのがうちの強みです。
材料となる原木は購入したり、いただいたりしています。
手に入れた原木は乾燥させる必要があるので、木材にするまで時間がかかってしまいます。
乾燥させずに使うと木が乾燥する最中に変形や収縮が起こって、時間がたつと製品に不都合ができてしまいます。そのため、木を乾燥させるわけです。
今はまだ必要ありませんが、いつか使うときのために原木を乾燥させています。

ご自宅の庭。左下と中央にある木は乾燥させるためにおいてある

最近ではありがたいことに木を集めていることがわかったようで、この間地元の中学校で木を切った際引き取ってくれないかと依頼があったほどです。

お話を聞かせていただき、木そのもの、そして木工への愛が伝わってきました。
中井さんの作る商品からは、木のよさやあたたかみが伝わってきます。
家の中にひとつ、普段の生活にひとつ昔ながらの木の製品を使うようにしてみてはいかがでしょうか?


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