紀北町では異色! 漢方薬の原料を取り扱う「佐太屋」前編

紀北町では異色! 漢方薬の原料を取り扱う「佐太屋」前編

ふるさと納税に入浴パック、だしを出品していただいている佐太屋。入浴パック、だしと毛色の異なる商品を扱う佐太屋へインタビューに行ってきました。
今回インタビューを受けてくださったのは社長のご子息である東和志さんです。

―事業所の紹介をお願いします。

佐太屋は東佐太郎(ひがしさたろう)が1894年に事業を開始し誕生しました。当時は今と違い、農業と松や檜・杉などの苗の栽培・出荷をする事業でした。
1953年に先代の東由一(ひがしよしかず)が佐太屋商事を設立しました。設立当初はみそやしょうゆを仕入れ小売する事業を行っていました。
甘草事業は先代の妻が胃の病気になり、いろいろと調べていくうちに甘草がいいということがわかり、そこから事業が開始されました。

仕入れて売るだけでは先細りしてしまうので、「東紀州のだし」、「甘草のお風呂」などの自社製品を開発しました。
開発する商品は「無添加」というキーワードを大事にしています。「東紀州のだし」であれば”保存料”・”化学調味料”・”塩分”の無添加、「甘草のお風呂」は原料の”甘草”・”塩”のみで作っています。

―東さんについて教えてください。

高校までは紀北町に住んでいましたが、高校卒業後東京で約10年間生活していました。東京では飲食店で働いていました。
小さい頃は長男だったこともあり佐太屋を継ぎ社長となることを夢としていました。しかし紀北町(当時は紀伊長島町)は小さい町です。地元の高校に行っても小・中学校の知り合いがほとんどなので、もっと知らない人に触れる機会を作りたいと思い松阪に出ました。高校卒業時も同じように考え東京に出ました。

東京はなんでもあって楽しいし、そこでやりたい仕事もできました。
そうなると紀北町に帰るのは里帰りするときくらいでいいやと思っていましたので、帰るつもりはありませんでした。

―なぜ紀北町に戻ってくることを決めたのですか?

きっかけとなったのは佐太屋含む、紀北町商工会がFOODEX JAPAN(国際食品・飲料展、42年の歴史があり2017年は世界77カ国・地域から3,282社が出展し、82,434名の来場登録があった。)に出展することとなり手伝いをしたことです。

そこで頑張っている人は自分の父親と同じくらいの年齢の人ばかりです。若い人が帰らないと極論自分が帰る町がなくなってしまうのではないかと思いました。それで帰ってもいいかなと思うようになりました。

子どもが生まれることがわかり、「東京は便利なんだけど子どもは田舎でのびのび育てたいから紀北町に帰りたい。」幸い妻が田舎のゆったりしたところを好きだったので、子どもが生まれると同時に紀北町へ帰ることを決めました。

―仕事のやりがいを教えてください

会社が大きいわけではないので、パートさん、社員と立場に関係なく意見の言いやすいところです。やりとりも距離が短いのでとてもやりやすいです。
こういうことがやりたい、こういう商品を作りたいといったときに実現までの時間が短いことです。
自分が帰ってきたことでスタッフの数が増え、これまで人手不足でできていなかったところに着手できるようになりました。

また他の紀北町の会社との距離も近く、いろんなことをお互い相談して進めていけることがやっていて楽しいです。

佐太屋の特産品はこちらでご覧いただけます。


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